Cornell大学での滞在を振り返って
(三浦 章)北海道大学
1. はじめに
北海道大学のちょうど地球の反対側,ニューヨーク州の中央部に,Ithaca(イサカ)という人口3万人ほどの小さな町があります.マンハッタンから車で5時間.この静かな田舎町に,私が留学したコーネル大学はあります.コーネル大学は,arXivのロゴに名前が入っている大学,といえばわかる人も多いかもしれません.アメリカの名門私大グループ「アイビー・リーグ」に最後に加わった大学で,学内にシンクロトロン施設も持つ,学際的な研究環境が魅力です.今の学生にとって2008年から2010年というのは,もしかすると「歴史」の一部かもしれません.“Yes, we can.” の言葉とともにアメリカ史上初の黒人大統領が就任し,リーマンショックで,1ドルが80円台の円高だった時代.私はその時期を,米国で博士研究員(Postdoctoral Researcherとかポスドクって言ったりします。)として過ごしていました.給料はドル建てでした.今回は,少し昔話にお付き合いいただきながら,皆さんに伝えたいメッセージを綴らせてください.

図1 コーネル大学の時計台からの風景。奥に見える建物が、筆者の滞在したDepartment of Chemistry and Chemical Biologyの建物
2. 紹介状から始まった旅
正直に申し上げると,私自身は学生の時,海外に行くことにそれほど積極的ではありませんでした.背中を押してくれたのは,妻が「奨学金をもらって海外に行きたい」と言ってくれたこと,そして現在の研究室の前任の教授である、吉川信一先生が,コーネル大学のDiSalvo先生を紹介してくださったことでした.出発前に、吉川先生から「コーネルには計算化学に強い先生がいるから、機会があれば学んでくるといいよ」と声をかけていただきました。当時博士課程の指導教員であった嶋田志郎先生に、ロータリー財団の海外渡航奨学金をとったので休学したいことを伝えたところ、「1年休んで博士を取るのではなく,短縮して行きなさい」と背中を押してくださり,窒化ガリウム単結晶の博士論文をまとめ,英語の試験もギリギリで突破,ロータリー財団のサポートも得て,なんとかアメリカに渡りました.
Francis J. DiSalvo先生は高温超電導体を発見したことで有名なBell研究所の研究者で,1986年にコーネル大学に着任しました.研究室のメンバーはFrankと呼んでいます.ナトリウムフラックス法などの新規窒化物を合成し、東北大学の山根久典先生やオックスフォード大学のSimon Clark先生も博士研究員として在籍していました.大学のある町は3万人ほどの小さな町ですが,アカデミックな空気が町全体に満ちていて,研究に没頭するには最高の環境でした.2年間で論文を4本書くことができ, 新規材料を自分の手でつくる研究の面白さも勉強しましたが,それ以上に学んだのは,研究の「コンセプト」をどう論文のイントロに落とし込むか,仲間とどうディスカッションを深めるか、研究の営みの本質でした.DiSalvo先生に問われた「So what?(だから何なの?)」という言葉は,今も私の研究室で生き続けています.

図2 DiSalvo先生の居室にて(2009.12)
3. 「世界の中の自分」を知ること
コーネル大学では,韓国や中国、インドから来た優秀な学生、博士課程研究者、アメリカの博士課程の学生たちと研究を行いました。日本人コミュニティにも支えられ,首都大学東京の田中 学先生,神奈川大学の松本 太先生らとの出会いもありました.隣の研究室には,私の生まれた1981年に福井謙一先生とノーベル化学賞を受賞されたRoald Hoffmann先生がいらっしゃいました.研究室では皆,親しみを込めてRoaldと呼んでいました.ゼミは,ポエムの紹介から始まり、面白い論文を先生も紹介し、ピザを食べながら、化学と文学が地続きに語られるあの特殊な空間で,私は科学の多様性を勉強させてもらうことができました.
英語は1年目,本当に苦労しました.下顎が腫れて「歯を3本抜く」と告げられ,必死で交渉した経験など,危機的状況がむしろ語学の扉を開けてくれたのかもしれません.1年くらいたったころ,アメリカの友人にようやくあなたの英語がわかるようになったと笑顔で言われました.現地で第一子も生まれました.周囲にお祝いしてもらい,わたしも家族もまわりもたのしくしてくれたそのアメリカの雰囲気に感謝しています.娘は今17歳になりました.
「外国人」としてビザを取り,給料をもらって生き抜くサバイバルな日々.それは楽しいことばかりではありませんが、世界中から集まった一流の頭脳のなかで,自分の立ち位置を肌で知る経験は,何物にも代えがたい財産になりました.実は,博士研究員という立場は,他のビザに比べてかなり優遇されていますので,給料をもらいながら世界を知り,知見を広める点で意味で,かなり恵まれています.日本の学術振興会だけではなく,ドイツのHumboldt財団などの奨学金もあります.私は,こののちドイツのRWTH Aachen(アーヘン工科大学)で2つめのポスドクをしています.そしてあの時に出会った仲間たちは,国境を越えて今も私を支えてくれる,一生もののネットワークです.

図3 2019年9月バークレー国立研究所、Ceder研での滞在時、当時学生だったChinmayee Subban博士との再会(現パシフィックノースウェスト国立研究所・ワシントン大学教授)
4. 若き皆さんへ
先輩や先生からいろんなことをやってみたらといわれることがあると思います。チャンスが巡ってきたら,どうか遠慮せずに「行きます」と言える人になってください.私自身,かつてDiSalvo研究室に着任直後、Frankから Gordon Research Conference(世界中の研究者が150〜200名ほど集まり、最先端の研究を合宿形式で深く議論する国際会議) への参加を勧められたのですが、遠慮して断ってしまい、その重要性に後から気づいて後悔したことがあります。
不安があって当然です.英語ができなくても大丈夫.歯が3本抜けそうになれば,英語は勝手に上達します.大切なのは,扉が開いた瞬間に「はい!」と一歩踏み出す勇気だけ.あとは,世界中の優しい人たちが必ず助けてくれます.私がそうだったように.
当時耳にした “Yes, we can.” の言葉を,今でもふと思い出します.
筆者紹介
北海道大学大学院工学研究院教授。2007年に同大学院博士後期課程を早期修了後、海外で研鑽を積む。2008-2009年にコーネル大学(ロータリー財団)および2010年アーヘン工科大学(フンボルト財団博士研究員)にて計3年にわたり博士研究員として従事。国際的な視野を養った。帰国後、山梨大学助教を経て2014年より北大へ。特任助教、助教、准教授、さらにJSTさきがけ研究員(兼任)を経て、2025年3月より現職。専門は新規合成法や計算化学を用いた合成学理の構築などなど.
セラミックス第61巻7月号(2026年)くろすろーどより転載

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